劇見てないんです。

愛の渦読了。このテクストを読んでいると、固有名を与えられていない人たちの、にもかかわらず漏れ出してくる(矮小な形であれ)ほかならぬその人という最小限の置き換え不可能性に触れ得るのだが、これが上演されその固有名を与えられていないひとびとを、肉体を有する役者が(当たり前の話だけど)演じることによって、無名であるにもかかわらず漏れ出すその人、という事態が予め与えられてしまっているのではないか、と気になる。それを言うと上演なんて出来ないわけで、かつ僕も見ていないからこそこんなことが平気で書ける。じゃあ、舞台で役者はどう振舞えばよいのかというプランを僕が持っているわけでもないし。無論こんなことが気になるのは、戯曲が面白かったからで、要は「お前、劇も見てみろよ」ってことなんだけど。