飲酒の友

にSVの続きを読んでいく。北小路隆志の『名もなき孤児たちの墓』評がいい。

では、中原の仕事におけるゴミとは何か?たとえば、この短編集に収められた傑作「美容室『ペッサ』」のなかで、ある女性は美容室を閉めるにあたり、「捨てるもの、取っておくものリストを睨み付けるようにみつめ」るが、「こういう作業は苦手」であり、「全く収拾がつかなくなる」と告白する。要するに、「捨てるもの(無用なもの)」と、「取っておくもの(有用なもの)」の峻別は、中原作品の登場人物たちにとってことのほか困難あり、そうした作業に没頭すると彼らのほうで収拾がつかなくなり、その頭脳がゴミになりかねない。注意すべきは、ここでのゴミが単に有用なものの否定としてあるのではなく、無用/有用の対立を崩すもの、そうした対立自体をゴミと化するものとしてあるということだ。僕らはゴミをゴミを無用なものとして遠ざけるが、しかしゴミ=排泄物を欠いた世界は想像するだにおぞましい。中原作品におけるゴミ=排泄物は倒錯的なフェティッシュ(崇拝)の対象ではなく、しかしその一方でそれを欠いては世界が崩れてしまうものとしてある。