修業者の言語なんちて

って単に修行つながりで見出しにしました。コレット「わたしの修業時代」。彼女にとっての言語の修業は、なんと言っても夫ウィリーの「クロディーヌもの」でのゴーストライティングがそれにあたるだろう。この本の中で実際、この問題を扱い始めてから加速度的に、二重=幽霊的な形象が溢れていく。数多いるゴーストライターに的確な指示を出すウィニー。指示が的確すぎて、多分本人が書いたほうが出来がいいのに、ゴーストライターたちをウィニーに仕立て上げること。「パリのクロディーヌ」に登場させられるウィニーそっくりのモージス。モージスを生きるのかウィニーを生きるのか判然としない地点まで引き摺られていく。さらにクロディーヌを演じるポレールの相貌が、クロディーヌを媒介としてコレットに似ること。こうした狂気的な類似の繁茂からの切断によって、作家コレットの誕生があったのではないか。そして、修業とはそうした狂的ななにかである、ともいえるのではないか。