明るい嫉妬

電車の中で『優雅で感傷的な日本野球』を読む。前の装丁の文庫でも読んでいたけどその時と同じように(本当に「同じように」かは自信がないけども)僕が読むという行為が、この小説が既に書かれてしまっていることに対して絶対的に遅れてしまっていることに、こう、何というか、取り乱してしまうのだ。それが電車の中だというのに。でこんなに取り乱していたりするのに、他の乗客からは単に読書をしているだけに見えるのだ。僕の正面に座っている人が携帯のモニターを凝視していて、その彼が100パーセント携帯のモニターを凝視することに集中しているわけではなく(きっと)携帯のモニターを凝視しながらも別のことも考えているのだろうけど、単に携帯のモニターを凝視しているだけに見えているのと同じことだろう。この「見える」っていうのが極めて厄介で、そんなことを言い出すと電車を降りて勤務先に向かう途中ですれ違う人びとが(きっと歩きながら何かを考えているのに)その歩いているという外見からは、単に歩いていること以上のことが導き出せなかったりする。うーん、悩ましいこのギャップ。