わてら陽気なラカニアン

『文化と現実界』読了。分かりやすい。けど分かりやすいと不安になる。「こんなに分かりやすいはずはない」、と。なんでやねん。(なぜか大阪弁)。著者の、アントニーイースホープの引用をさらに引用

「バトラーのラカンの本は私が読んでいるラカンの本ではなく、同姓同名の作家による別な本のようにいつも思える」

現実界」の取り扱いをめぐって著者はバトラー、さらに(より好意的ではあるが)ジジェク批判を敢行するわけだが、しかしあれだね、ラカンほど誰がテクストを解釈出来ているかという争いを誘発する人はなかなかいないね。ラカンを論ずる人によってラカンの相貌がまったく異なってあらわれるというか。わかりやすいといえば後半の崇高論も。(フレンチ・セオリーのイギリスでの受容のされ方って結構興味深いものがある)。
文化と現実界―新たな文化理論のために