大人になりたくない

「性愛」格差論―萌えとモテの間で (中公新書ラクレ)
読了。対談なので話半分と捉えるとして、なかなか面白い。僕自身「性愛」に関して言えば、「あってもなくてもどっちでもいいや」というスタンス。もちろん、本能っていう意味では無論「性欲」はあるのだろうしそれは否定できないけれども、それを「無いかのように」やり過ごすのにもう慣れてしまっている。男女問わず「素敵だなあ」と思える人はたくさんいて、そういう人(たち)とネタのやりとりをして「キャッキャッ」と笑いあうのが一番気持ちいいような気がする。というかこの辺に快楽を担保しているから、「性愛」に関してそこまで切実さを感じていないのだろう。くわえて、裸同士で対峙するのって、「裸」が喚起するどうしようもない「素寒貧さ」を意識してしまい、どうにも苦手だ。(レヴィナス?)。しかもこの「素寒貧さ」は仮に相手が見かけ上豊満であっても、なお意識してしまう「素寒貧さ」であることもこの際指摘しておこう。...絵にかいたような「成熟」の無さに自分でも苦笑するが、もちろん僕が(性愛に関して)こういうあり方を選んでいるからといって、ほかの人にも勧めようとはまったく思っていなくて、むしろ「やりたい人はどんどんやって(僕は降りるけど)」くらいに思っている。まあ「諦念」ではあるのだけど、何度か書いたように「諦念」にもそれなりの気持ちよさはある。なんで僕がこの位置に至ったかについては精神分析的な知見がわりときれいに当てはまったりするんだけど、詳細は省略。こんな性愛観の持ち主が一番好きな漫画が『カプートの別荘においで』(吉野朔実)。これが僕にとって、フーコー言うところのヘテロトピアだったりする。(「ヘテロ」じゃないだろ、というツッコミをしつつ)