内田樹の労働観

態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い (角川oneテーマ21)や、知に働けば蔵が建つでも触れられているが、

人間の社会は一人一人が「オーバーアチーブ」、つまり「対価以上のことをしてしまう」ことによって成り立っているからである。

そりゃそうなんだけど、これって「資本の搾取を所与として労働しろ」ってことなのかしら。等価交換なんてフィクションだけど、それを積極的に受け入れろ、と。もちろんマルクスの使いみちにもあるように、僕たちが搾取概念に訴えていってもあまり実りがないのは承知の上だが(危険は承知byデレク・ジャーマン)、だからこそ「資源の平等」とか「機会の平等」とかの議論があるわけで、「オーバーアチーブによって成り立っているからである」と、「である」で文を終わらせることは、いささか暴力的ではないか、と他ならぬフリーターは思うわけだ。もちろん、内田樹は、フリーターがルンプロではなく労働者であるからこそ、上のように言うのかもしれないが。それも含めてこんな本の内田批判も参考にしつつ。
ミッキーマウスのプロレタリア宣言