貸出し期限へのせきたて

図書館で本を借りる日には、なんだか申し訳なくて以前に図書館で借りた本を読むことにしている。今日は
ツチヤ教授の哲学講義ウンコな議論
を読んだ。申し訳なくて読むってのはどうなんだろう。だったら借りるなと言う話だけど。どっちもサクサク読めて楽しい。特に「ウンコな議論」、著者のフランクファートよりも訳者の山形浩生のほうが表紙で目立っているんだけど、彼の解説(解説もまた本編と同じくらいの分量がある。主役はどっちだ)も至れり尽くせり。ただ、

訳者はこの解説からもわかるとおり、要領を得た明快な記述を得意としている。さて別件で執筆した報告書においても、こうした簡潔な記述を行ったところ、驚いたことに「稚拙である」と言う評価をちょうだいしたものである。お読みになった顧客は、日頃からウンコ議論まみれの文書に慣れ親しんでいるために、結論を留保なしに単刀直入に述べた文書を読んだときに読み取れるものが少ないと感じてしまったようである。これに対しては、ウンコ議論の含有量を増やしてあれこれ無意味な留保条件をあちこちに挿入することで対処し、無事納品と相成った。個人的には読みにくくなったとしか思えなかったのではあるが、亭主の好きななんとやら、である。一方で、ウンコ議論のない単刀直入の議論は見も蓋もない議論と言われることが多い。ということは、ウンコ議論は一方で身や蓋であるという理屈になる。ここにはコミュニケーションを左右する要因について、興味深い示唆が含まれているように思えてならない。

にはすごく耳が痛いや。