お前らは「魂の労働」でもしとけ

ってことですよね、現今の「教育改革」は。で日々僕は「魂の労働」をしているわけだ。そのシビアさから、なかなかネグリのように「一般的知性」を抵抗の基盤として称揚するのは楽観的過ぎるのではないかと思う。書籍の問い合わせで急に呼び止めれられる時は、「これがアルチュセールの『呼びかけ』か」と思う時もないではないし。などと「現代思想」を読みながら考えるわけです・今日は安藤丈将「社旗運動ユニオニズムとしての『教育労働者運動』まで。駒寮の時に感じたのは、あの事例はそれこそ、「サンパピエ」であり「歓待」の問題であったにもかかわらず、あそこがついに「条件なき大学」ではなかったということだ。軽い悪意をもってデリダジャーゴンを3つ重ねたんだけども。それが不可能なのは丸山吊るし上げのときに分かってたことだけど。分かってたことだけどさ。

魂の労働―ネオリベラリズムの権力論