いいまつがい

引き続きユリイカを読む。菊地成孔×伊藤俊治の対談。冒頭から素敵だ

菊地:ティエリー・ミュグレーの「エンジェル」はもう10年くらい使っているんですけれども、香水は噴霧すると、可視物質としての水はしばらく立ち上がってからすぐに雫と消えてしまい、それが先ず見えるのですが、香りの成分は驚くほど高く上っていくんです。風さえなければ相当高くいく。三階建てのオペラハウスのステージで一噴きすると、数秒後にはもう三階で香るらしいんですね。お客様に頂いた感想だから、ひょっとすると妄想に近い「妄香」みたいな感覚の可能性もありますが、ともかく「三階でもすぐ香った」そうです。「エンジェル」という名前の香水の、目に見えない香りの成分だけがどこまでも昇っていく。そのイメージが、ヴァルター・ベンヤミンの「新しい天使」と照応して感じられたんです。
伊藤:天使は毎瞬に群れをなして生み出されて、神の前で賛歌を歌い終えると、存在することを止めて無の中に消えていく。そのアクチュアリティ」こそが唯一の真実である、とベンヤミンは記しています。「新しい天使」というのは、もともとはベンヤミンが雑誌を立ち上げようとしていたときに、そんな天使のような存在意義を持った雑誌を作りたいという願望のもとに、巻頭に書いた創刊宣言で、それだけが残ったというものです。同じくあのステージで菊地さんは「ゴヤの絵に影響を受けて」と説明されましたが、あれは正しくはパウル・クレーの絵、『新しい天使』からの影響ですね。あの言い間違いは精神分析学的に言うとたいへん興味深い(笑)

『スペインの宇宙食』でのナボコフといい、この対談といい、言い間違いのほうが素晴らしい、というのは得がたい才能だ。ゴヤの『新しい天使』ぜひ見てみたい。なおこの対談で、伊藤が岡谷公二の『ピエル・ロティの館 エクゾティスムという病』に触れたのを受けて

菊地:(略)音楽に限って言えば、エキゾティシズムというのは、長らく、カクテルのベースみたいな、料理に於けるフォンの様な物だったと思いますが、世界が狭くなるに連れて、一方ではポスト・コロニアルの文脈で社会的なリアルの方向、所謂「ワールド・ミュージック」へ、一方では甘美なノスタルジーを超えた、極めて個人的な記憶の問題、「ポスト・ノスタルジー」と称して良いと思うんですが、そうした方向に引き裂かれつつあると思います。それを統合しようとしたのが『南米のエリザベス・テイラー』なんですが。

と応答している。これには思わず「なるほど!」余談だが、岡谷公二の「絵画の中の熱帯」も面白いっすよ。絵画のなかの熱帯