廣松渉

哲学者廣松渉の告白的回想録

哲学者廣松渉の告白的回想録

さっそく読み始める。実は僕が廣松渉の書いたものをはじめて読んだのは、例の悪名高い朝日に掲載された「東亜共栄圏」論文だったりするわけで、いろんな意味で廣松を終わりから読み始めた、という意識が強い。もっとも当時僕は中学生で、たまたまルーティンで新聞を読んでいて目にしたわけで、目的意識的にこの論文にのぞんだわけではなかった。だから、この論文は初見の時はあまり深く考えることはなかった。そもそも廣松渉をよく知らなかったし。大学の教養課程くらいになって割りと集中的に廣松のテクストを読んでいったのだが、その時点でようやく「東亜共栄圏」問題の重要性に気づいた。かなり好意的に解釈すれば、「北東アジア共同の家」構想に引き付けることも出来るけれど、どうにも一定のきな臭さは払底できない。だからというわけでもないが、ついでに言うと宮台真司の最近の論調にも一抹の不安感は拭えない。とまれ、この本に話を戻すと、昨日触れた、熊野純彦の「戦後思想の一断面」とはかなり共通するものがある。が、こちらは、1970年までの時期に焦点を当てていて、病床でのインタビューであるから記憶違いも多いが、1950年代(ちなみに僕が今関心を持っている時代でもある)の活動にかんするかなり細かい遣り取りが参考になった。松田政男インタビューと併せて考える。特に別党コース問題にかんする廣松の振る舞いの「旧国際派原則」とか。