変身
小島、森対談の続き。ここをどう読むかに尽きるとおもう。
森「あなたの手紙読みました。いまは大分酔っています。よけいなおせっかい
かもしれないが、ぼくはあなたに課題をあたえますから、それについて
作文を書いてください」
小島はこのとき、何かしでかしたのではなかろうか、と自分の耳を疑った。
何か詫証文のようなものを書くべきことをしでかしたのかもしれない、と思った。
考えてみれば、至るところで、そのようなハメになることはしてきているからである。
小島の『美濃』はそのことを書いた作品だ。
森「ぼくがあなたを追いこんでしまうのです。にげないようにしてしまいますからね。
あなたは、どうしても作文を書かなければならない」
小「作文というのは、つまり?」
森「もちろん、わざとぼくは作文といっているのです」
小「ああ、分かりました。森さんが馬のクツワのようなものをはめて下さる
という意味ですね」
森「そうです。おせっかいかもしれないけど、あなたの自由を取りあげるという
意味で、課題というのです。昔は、誰も彼も、あなただって、課題小説を
書いていたのです。あなたは、もっとも、そういう人でしたよ。そのうち、
課題から離れようとしてきました。あなたは自分では課題をあたえる気が
せんから、ぼくが代りに、絶対者として、バチンとあたえます。あなたが、
課題に慕いよろうが、逃げまわろうが、それは課題が元になっています。
あなたは、戦国の武士が、敵を追跡することを、慕う、といっていましたね。
ヒタヒタと慕う、といっていましたね。あれですよ。
もちろん、課題は仮のものです。仮のものでも、ゼッタイですからね。
たとえば、いや、たとえばではない、その課題は、<失恋>です。あなたは
<失恋>という題で作文を書かねばならんのですからね」
小「<失恋>とは、失う恋と書く、あれですか」
森「その通り。古典的なものです。<失恋>ほど古典的なものはないのです。
失恋といったって、あらゆる恋が、失恋ですからね。得もまた失恋ですからね」
小「分かりました」
森「観念しなさい」
小「観念なら、いつでもします。ぼくは観念専門ですから」
と小島は笑った。事実、ユカイにもなった気がした。
森「あらゆる古典作品は、失恋作品といってもいいでしょ」
小島は、もう、この題の下に暗闇のなかをヒタヒタとしたいよったり、逃げまわったり
迂回して向う側に出たりして戦闘する自分の姿が思いうかんだ。
森「あなたにはめられたクツワはもちろん自分に自由をあたえるための道具です。
ところで、<失恋>であなたは作文を書きます。といったって、あなたが作文
なんか書くわけはない、書けるわけもない」
ほとんど嘲笑するかの如く、森敦氏は笑った。
森「そのあと、ぼくは次々と課題をあたえます。もちろん、様子を見たうえでですけ
どね。今からでは、僕も見当がつかない。先ず<失恋>であなたがかいたところで、
ぼくも考える。もう覚悟してしまいなさい!」
341p-344p
このすごさをどう思考したらいいんだろうか?