80/90問題

優雅で感傷的な日本野球』も買ったことだし、80/90年代問題の続きを考えてみよう。個人的な印象でなんなんだが、80年代的な感じというのは、暦の上での90年代に入ってもまだまだ持続していて、それが一掃されてしまうのが95年、96年あたりだと思う。要するに震災、オウムってことなんだけど、それらの大事件を(僕を含む)フツーの人たちは新聞やテレビというメディアを通して受容していたわけで(つまりネット環境が身近でなかったほぼ最後の事件=ここら辺が僕には80年代と地続きな点に思われる)。で、さらに個人的な話を続けると、今だったらまず確実にネットで得ようとするタイプの情報を、『噂の真相』を読むことで得ていたり。ウラネタ的なものを得るために月刊誌を待つ、という考えてみたらまだまだノンビリしていたような気もする。もちろん週刊誌も「ダメになった、ダメになった」と言われていもしたが、今(2006年)の週刊誌のダメっぷりと比べるならまだまだ頑張っていたし。(ここでハタと考える。今読者は週刊という発行ペースに何を期待しているんだろう、と)。これだけだったら単なる技術決定論なんだけど、政治を考えてみても(事後的に振り返ってみるなら小泉「構造改革」の露払いをしたと言える)橋本政権の成立があったりね。とすると80/90の価値観が一番ゴタマゼになっていたのが、自・社・さ政権の時期か?。(断定していいんだろうか?でもあの時期ってホント混沌としていたように思えるぞ)。だから(?)ホントの「殺伐/クール」な90年代って、95年、96年くらいにはじまっている気がする。以下の『バブル文化論』の書評も参考にしたり、
http://d.hatena.ne.jp/merubook/20060604
でもね、あの多幸感の時代がなかったらおそらく保坂和志の小説もなかったように思えるのですが。