肝に銘じます

『文学部をめぐる病』読書進行中。メモ

加藤周一は、「支配階級の方を、それが軍人であろうと地主であろうと、彼らのために自ら苦しみながら、しかも彼らの方を向いて尾を振っている青年の卑屈さ」と言った。こうした体制への媚びは、それがそのものとしてあらわれてくるならば、不快なだけであって決して危険ではないだろう。だが、そのように堂々と不快な人間は意外に少ない。問題なのは、そうした強者への擦り寄り(これはたいていの人間に潜んでいる一般的な弱さではないだろうか)を隠蔽し、自分自身をアウトサイダーや批判者と見なしてしまう朗らかさである。
「新しき星菫派」たち、すなわち単なる高学歴者たちが、そうした特権的朗らかさを身にまとうのに、高橋建二や芳賀檀は大いに貢献したのだった。

とりあえず、「単なる高学歴者」の「単なる」にアンダーラインを引いて引き過ぎることは無い。「単なる」以上だと錯認することでどんな悲喜劇が繰り返されてきたかは言うまでもないだろう。いや、僕みたいな落ちこぼれですら己を「アウトサイダーや批判者」とみなしてしまう時があるだけにツライ。この本を読んでいると「『帝国日本の英文学』もはやく読まなきゃ」と思う。


この本の「ドイツ文学」をまるまる「カルチュラル・スタディーズ」に置き換えたら...なんて思ってませんよ僕は。(むしろ「軽スタ」と罵倒する方にむしろ「教養主義の病」が温存されている。しかし「軽スタ」といわれても仕方の無いものも無いとは言えない。だからといって、カルチュラル・スタディーズが全否定される理由にもならない...以下無限に堂々巡り)