アイロニーをめぐって

「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言 (ちくま新書)読了。全体的に既読感は漂うものの、その都度の立ち位置を確認するのには仲正さんの本はやっぱり有用。ポジション・トークは避けたいです、僕も。北田暁大が「ロマン主義シニシズム」を警戒するのって、

私の場合、「現状を維持する思想」として保守思想に興味を持ったわけではありません。絶えざる自己組織化と自己調整のメカニズムが社会にあるとして、その外部、つまり高見に立てると安易に想定することへの違和感が、私にはあったようです。その違和感から、思想的ボキャブラリーのとぼしい高校生の私は、「自分は保守なのかなあ」と何となく思っていたわけです。仮想敵は「社会党」や「テレ朝」的なもの。いくら読んでもわからないのだけれども、小泉信三の『マルクス主義批判の常識』を読んだりもしました。批判の常識もなにも、「マルクス主義の常識」も知らないのだから当たり前です。ニューアカの文章を読んでいても、「外部に出ることの困難」がえんえんと書かれている。「あ、これも保守主義だ」という感じで、いかにも貧しい読み方をしていたように記憶しています。(『限界の思考』より引用)

今の「ネット保守」が、高校生だった頃の(=学問以前の)自身を見ているようで...と勘繰るのだが、これも「分かりやすさの罠」に陥っているなあ、と我ながら恥じる。もうちょっと考えてみる。そういえば北田さんもキットラーを使いつつのロマン派論をインコミに掲載していて、仲正さんとそう食い違いをがなさそうに(外野からは)見えるんだけども。こればっかりはわかんない。
限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学