フーコーのレイター・ワーク

生と権力の哲学 (ちくま新書)読了。論者によってどうとでも使える生権力/生政治だけど、どうでしょう。17/18世紀に規律権力/生権力のせめぎ合いをみるか、フォーディズム/ポスト・フォーディズムに重ね合わせてみるか。はたまた、ビオス/ゾーエーの分割→不分明に至るに寄り添うか。(その場合、例外状態の常態化は、2つを分けたギリシアですら見出せる)。もっともフーコーが体系化(もっともフーコーには似合わないけど)しなかったので、僕らが「ああでもないこうでもない」と考えられるわけで。小著でかつ、この議論に関係なくもないという程度だが、
ベルクソンとバシュラール (叢書・ウニベルシタス)
とかも参考に。