亀の歩み

現代思想イスラーム特集。早尾貴紀論文が読ませる。

加えて、とりわけ日本におけるバイナショナリズム認識は、欧米圏からの輸入という形でさらに間接的になっているだけでなく、それ以上に「あのサイードが言っていたから」ということがもっぱらの根拠となってしまっている。もちろんサイード本人は、自らがルーツをもち深くコミットしているパレスチナの現状に対する冷徹な認識のうえに立ち、かつ、思想史的な可能性を紡ぎ出そうとしていたのであり、その発言の意義の大きさには疑いはない。だが、日本の知識人においては(バイナショナリズムにかぎらず)パレスチナ認識一般が、あるいはパレスチナへの関心そのものが「サイードを媒介にして」もたらされ(それがきっかけとなるのはいいとして)、サイードを語ることがパレスチナを語ることと等置ないし混同されている。こうした知的消費構造のなかで、主観的にはパレスチナ支援の立場からであれ、ナイーヴにバイナショナリズムを称揚することは、現実的コンテクストも歴史的コンテクストも欠いており、ベン=エフラットによる「知的ゲーム」という批判はこうした一面からも的を射ていると言わざるをえない。

自戒をこめて引用。

イスラエルのアラブ社会を活写した田浪亜央絵の「『イスラーム運動』の風景」も参考になる。