丸山の続き

鶴見俊輔との対談より引用(備忘録)

もしアカデミーに存在理由があるとしたら、徹底して学問の型を習練することですよ。だから、現代の大学で、それをやってないじゃないか、つまりアカデミーじゃないじゃないかということなら、まさに、批判されるべきだ。そういう大学批判ならいくら批判されたって、大学人は甘んじて受けねばならない。ところがアンタイ・アカデミズムなんていうときに、コッケイだと思うのは、そういう批判じゃないからですよ。私が思想の科学研究会に参加したのは、民間のアカデミズムをつくるっていうから、それは非常に良いことだ、と思ったからですよ。(笑)ところがだ、型とか形式を蔑視する内容主義になっちゃったから、きびしいシツケの嫌いな方は、イラハイ、イラハイ、ということになった。これが思想の科学研究会にたいしてもってる私の根本的な疑問です。

この68年から程なく出された『語り継ぐ戦後史』(思想の科学社)に収録されている丸山の発言は正しい(正しすぎる?)でもさ、この後のニューアカだって(良くも悪くも)型になっちゃったね。それなりに「アカデミー」に場を占めたというか。もっと言うとダメなニューアカと良いニューアカが時の流れとともに選別されたというか。