飲酒のあいまにこんなことを考えていた

散歩のあいまにこんなことを考えていたを飲みながら読みはじめる。気になる記述を拾い上げてみる。

ところが、どういう成り行きか、わたしは二年ほど前に、突然スモーカーになってしまったのである。
そもそもの始まりは、たぶん小説というものを書き出したことだった。途中で行き詰っては深夜の書斎で机に突っ伏し、頭を掻きむしっているうちに、そうだ、煙草というものが世の中にあって、今までの人生では自分と無縁だったが、ひょっとしたらあの謎の物体はこういう時のために存在するものなのかもしれないと思ったのだ。

と「四十代半ばになって突然煙草を吸いはじめる」というのにびっくり。しかし、本と煙草は相性が良いというか、僕も(書くのではなくて)読むときのリズム作りに、煙草は欠かせなくなっている。煙草を吸わないと本を読み通せないなんて、はっきり中毒なんだけども。(おかげで図書館の中では本が読めない。図書館ではさっさと本を選ぶだけ)。そういや書くことと煙草の強固な結びつきは、
随筆 本が崩れる (文春新書)
にこれでもかってくらい書かれていた。で、それまで煙草を吸っていなかった松浦寿輝をして煙草を吸わせるようになった「小説」という厄介なもののうちで僕が一番好きなのは、折口信夫論 (批評空間叢書)って小説じゃないじゃん。しかも時期的に煙草を吸い始める以前の著作だし。もちろん小説も好きなんだけど、それ以上に好きってことで。
あと、猫に関する記述が多い。僕の好きな小説家は猫好きなことが多いのだけど、僕自身は猫にそれほどのめりこむことはない。(とうとう言っちゃった)。というのも「猫って肉食うじゃん」って思ってしまう。僕は肉を食べるのが苦手なので(というのは正確ではないか。肉を食べて「おいしい」と思うし、満足感も得るのだけれど、この「満足感」がどうも不必要?に罪悪感を僕に感じさせてしまい、ついつい肉を遠ざけてしまう。別に極端に嫌いな訳ではなく、言ってみれば禁欲がクセになっているというか。しかし、食欲、性欲、睡眠欲と軒並み減らしていってる僕は一体どこへ向かっているんだろうか)、それに引っ張られる形で肉食の動物は、いくら見た目がかわいくてもそんなにのめりこむことが出来ない。リスとかウサギとかは大好きなんだけど、でもそれらってみんな好きでしょ。あと牛とかね。実際牛飼ってるし。(実家の生業なのです)。肉の食べられなさも、飼っている牛が天寿を全うする前に「ドナドナ」になることから説明できるかもしれない。その分異常なくらい「畑の肉」は食べてるけどね。