モラスキー読了

結語

結局のところ、ある時代についての国民全体の経験を表象することは、どの作家にもできない。どの作家集団についてであれ(それがいかなるジェンダー、世代、地域、階級、イデオロギーによって定義されようとも)、米占領下の生活に関する真に相対的な視点を得ていると想定するのは無理である。そうした視点はテクスト間の広大な断面図を通じてのみ接近可能なのである。低俗で、地域的で、往々にして批判にも値しないと思われているテクストもそのためには必要である。(これらだけでよいということではないが)。すなわち、国民的記憶とは、動的で係争的な言説である。しかしそれは同時に、固定的で議論の余地のないものに見える程度まで権威を要求せずにはおれない逆説的な言説でもあるのだ。もし文学なるものが、ある時代に関する国民的記憶に声を与える役割を担っているとするならば、本書で扱ってきた数々の物語は確かに、衝突しあう多様な記憶という騒音のざわめきを取り戻すことに寄与したと言えるだろうー長いことおとなしく奏でられてきた単一の記憶という秩序だった対旋律に、致命的で不可欠な不協和音を高らかに響かせることによって。

いや、それはそうなんだけど、ちょっと色々なものを断片のままにしていて、この本自体の統一的な像が結ばないように思える。この場合「統一的な像」といって、「単一の記憶」を僕が求めているわけではないことに注意。決して重なり合わない記憶(抗争する記憶)の重なり合わなさへの見取り図というものは、やはり必要なんじゃないだろうか。もしかしたら、見落としているかもしれないのでもう一度読み直そう。