騙り?

次は松浦寿輝、「方法序説」を読む。

わたしはここでーこの場所で、この人生のこの時点でー
わたしにやりかたについて語ってみたいと思う

と帯に記されているからといって、真に受けるわけにもいかず。
なぜなら、aで奇術師ダイ・ヴァーノンを取り上げ、さらに、cでは
ダイ・ヴァーノンが奇妙な熱意で持って、S・W・アードネイズの
「ザ・エキスパート・アット・ザ・カード・テーブル」の註解にのめりこむ
様を、フロイトに還るラカンに重ね合わせている。
自著を語る試みが、こういうしかたで切り出されると、その語りの騙り性、が、
明瞭にされつつ、読者はその騙りの美しさ(きれいな美意識の人...)の共犯者に
なるのだろう。そして読者は、「迷う」ことの快楽を言うこのテクストを、
さまざまな仕方で迷い続けていけるのではないか。

それにしても、私の詩を「知的」に過ぎ「前衛的」にすぎ「実験的」にすぎる
と罵倒していたかつての読者と、わたしの小説を「古風」にすぎ「通俗的」に
すぎるとなじっている現在の読者とが決して出会うことがないのは、なんとも
面白い現象ではある

と書く、その平面で。