今日読んだ本

飲み会明けで本調子ではないものの(と言うか本調子な時なぞ、ついぞない。常に疲労にまみれているんだ、僕は!)、こんな本を読みましたよ。
1.『ユリイカ』特集:西原理恵子
読了。あんまり「東は東、西は西」みたいなことは言いたかないけど、やっぱりあるよね「西のダウナー」。僕の小学校時代はほぼ『バブル文化』真っ盛りなんですがそんな多幸感とは無関係な場所で、「お前、それやけくそだろ」とツッコまざるを得ないツギハギを当てたズボンを穿いていた友達の顔を思い出す。わりと貧乏がデフォルトな地域ですのでね。
西原×大月対談より

西原:そうなると、もう「子どもの命が惜しかったら、どんな私立でもいいから私立の学校に入れろ!」ってことになるんですよ。公立の中学出ちゃったら、みんな高校に進学なんてせずに「組」に就職していくんですから。似非同和vs.蛇頭の抗争のまっただなかに、誰が自分の子どもを放り込むかっての。東京の「ブランド」私立学校とはわけが違う。

確かに中学受験した。(私立じゃなく国立だったけど)。「ここにいたら一生このまま」という切迫感は(地元の友人とツルみつつも)やっぱりあった。(自分で書いていて中野孝次の自伝を読まされているような恥ずかしさを感じる)だけども気がつけば「ここ」に舞い戻ってきているわけで。西原は偉いなあ、と思わないでもない。
僕は(西原のように)バクチもやらないし借金も無いけど、それでも人の道を踏み外し続けているような気がするのはなんでだろう。というか人の道ってなんですか。
2.『バイオポリティクス』
読了。倫理学崩れとしちゃあ、異論もないわけではないけども。副題が「人体を管理するとはどういうことか」はそのままを意味していて、「いい管理」のあり方はどのようなものかが鋭く問われている。(日本の法整備のグダグダさ加減とか。そして欧米各国の事例やら)もちろん「悪い管理」はその過程で排除。概ね納得できるもののそれでもためらうものがあるのは、僕の出自が「ヘタレ文化系」ゆえか。これはいい加減解消しないとな。そうそう帯の背には

生命倫理では捉えきれない

とあって、僕もアメリカ流のバイオエシックスはどうかと思うが、こんな古典もつい先ごろ邦訳が届く。
『生命の神聖性批判』(東信堂)ヘルガ・クーゼ 飯田亘之他訳
3.『日本の失敗』(岩波現代文庫松本健一
読み始める。日本の失敗とは第一次世界大戦を真剣に受け止めなかったことだと思うんですが。花田清輝との関わりや、『<日本人>の境界』での知識くらいしか無いですが中野正剛についてもうちょっと掘り下げていきたいと思う今日この頃。(『泥の文明』読んでないけど、文明論をぶち上げるとウサンくさく感じられるのはどうしてだろう?)
4.『カール・シュミットの挑戦』
そして第一次世界大戦を思い切り真剣に受け止めた(乱暴な要約だなあ)この人をめぐる論考。今日は、「カール・シュミットと『世界統一』」ジャン=フランソワ・ケルヴェガン を読む。
5.『システム現象学
「Ⅲ 身体システム」を読む。いや、面白いんですよ。面白いんですけど、メルロ=ポンティよりもさらに奥の方へ行っちゃうと、もう分かる、分からないの問題ではないのですよ。もう生きちゃってるわけで。裏テーマは荒川修作&マドリン・ギンスの『建築する身体』と見た。
バイオポリティクス―人体を管理するとはどういうことか (中公新書)日本の失敗―「第二の開国」と「大東亜戦争」 (岩波現代文庫)泥の文明 (新潮選書)建築する身体―人間を超えていくために