大学から遠くはなれて

ネオリベ化する公共圏
読了。僕は大学を中退してるし(というかだからこそ)大学は「条件なき大学」であって欲しいと熱烈に願っているのだが、事態は真逆というか早稲田や埼玉大や首大の事例には溜息が出る。(無論これらの大学が相対的に目立つだけであって、大学のネオリベ的編成はどこでも行われているだろう)
映画論やポピュラー音楽論の重要性を認めるにやぶさかではないが、それらの活動は学生がサークル活動等を通じて授業以外でしていたことであって、それらがかっちりとカリキュラムに回収されて、当局公認の、学生を呼び込む目玉商品にされていないか警戒が必要だろう。それらって教室で習うよりも、教室の外で見聞を深めるものじゃないの?っていう疑念はきっともう「古いよ、おじさん」と言われるんだろうな。最近の大学生は(ついに僕もこんなことを言うようになるなんて)「ちゃんと授業に出ている」そうだが、どうかそれがウソであって欲しい。さしたる疑問ももたないまま「これからはコミュニケーション・スキルが必要だ」という(きっと資本の)要請を無批判に内面化したりしないで欲しい。書いていて古いと言われても仕方ないと思うし、今さら「かつての」大学に戻るべきであるとも思わないけど(そんなことは不可能だ)、今進行しつつある「(何も考えなければ)快適なキャンパスライフ」化(しかもそれは「学生のため」でもあるし「学生も望んでいる」)一色には染まって欲しくない。もっと、個々の論文に触れたいけど眠い。(今日からゴールデン・ウィークだというのに労働しているから