痕跡

まず、返却されたばかりの本が集められた棚を見にいく。わりと図書館に入ったばかりの本が返されていることが多いからだ。で、目についたのが、
六〇〇〇度の愛vanity
これ借りたの絶対同一人物でしょ。近所に僕が読んだことのある本を読んだ人がいて、かつその人がどういう人か分からないという状況は、なんとなく嬉しい。この人は、次にどんな本を借りたんだろうか?興味は尽きないが、この尽きなさに身をゆだねると、行き先はストーキングの袋小路にはまりそうなのでやめる。
今日借りた本は、
いきなりはじめる浄土真宗 (インターネット持仏堂 1)
と『よるのびょういん』(福音館)谷川俊太郎作/長野重一写真
『よるのびょういん』って最近復刊されたってこと?すごく懐かしくて思わず借りてしまう。これ、僕が一番最初に読んだ本かもしれない。初めて読んだ時のことをよく覚えている。まず、モノクロームというだけで怖かったし、さらに盲腸の手術シーン(メス!)や、どういう働きをするのか子どもにはよくわからない医療機器や、狼狽する母親、清潔(過ぎて)怖い医者や看護師の白衣。写真だけですでに怖いのに、父親の

まえからおれがいってたろう、ぶどうのたねははきださないともうちょうになるって

という発言が、これを読む少し前にまさに「ぶどうのたねをのみこんだ」僕は、「もうちょう」が何なのかよく分からないまでも、この本のように医者に腹を割かれるのではないかと恐怖でいっぱいだった。(今に至るまで盲腸にはかかっていないんだけど)さらに、

よるのびょういんはしずかだ。けれどそこにはねむらずにはたらくひとたちがいる。びょうしつをみまわるかんごふさん、ちかのぼいらーしつでおきているぼいらーまん

の「ぼいらーまん」が分からず、母親に聞いたところ、母親は、
「え、ボイン?」と聞き違え、しかも「あ、い、う、え、おのことや」と答えられてしまった。僕はエロい質問をしたと勘違いされたことがすでに恥ずかしかったうえに、仮に僕がエロい質問をしたとしてそれに対して「乳房のことだ」と答えても良さそうなのに、「母音」の説明をすることに、「うまくはぐらかしてやったぞ」という母親の自意識が感じられて、二重に恥ずかしかったのを覚えている。おかげでしばらくは「ボイラー」という語を目にするたびに淫靡な印象を受けてしまうことになった。ボイラーマンの皆様、ごめんなさい。
で、僕自身が髄膜炎にかかって「よるのびょういん」に担ぎ込まれるのは、数年先の小学校一年生の夏のことだが、それはまた別の話。ただ、今でも熱が出ると首が硬直してないか確認させるほどには、その罹病は僕に影響を与えている。