いま、哲学とはなにか(未来社)

「意識大好き」と題された、染谷昌義の小論の的確な指摘どおり、僕も「これからは意識して○○したい」という時、ほぼ行為とのかかわりを「意識」していなかったりする。(ほら、また)門脇俊介「哲学的であること、内在的であること」と、宮崎裕助「ヴァニシング・メディエーターとしての哲学」を同時に考えていけばかなり面白いのではないか、などと無責任なことを言ってみる。大文字の哲学の終焉(この際だから言い切ってしまう)と、にもかかわらず、「哲学」という語がしまりなく広く流通する今、哲学すること。それを直接問うのではなく、今哲学者とは誰かと迂回した問いを発する宮崎氏の筆運びが見事。