「未知なるものへの生成」の続き。ベルクソンにおける動き続けること
の意味。不断の生成、但しドゥルーズ的ではなく、というのが
著者守永直幹氏のキモかも。まだ途中なので詳しくは言えないが。

しかし、リンギスにしろベルクソン(を読む守永氏)にしろ、批判哲学ー批判
に他なるものを持ち出すが、カント自身が他なるものに憑かれてはいなかったか?


「心は実験できるか」の続き。ローゼンハン、ダーリー、ラタネの実験。