まあ私も『日本の夜と霧』を初めて見たとき(中学生のはじめのほう)、津川雅彦全共闘だと思い込んでたんだから(見たのに。何見てたんだよ、って話ですよ)、なんでもいっしょくたにサヨ扱いする人とそう変わらん認識であったことよ。そういう人たち=全共闘、って、回線切って視のう...
60年と68年がぜんぜん違う... ってのを知るのはもうちょい後。や、でも近い過去のことって、よっぽど知ろうっていうアレがなきゃ、知らんよな。
私が中学ン時でそうなんだから、さらに下って今の中学生が見てもなんでモメてんのか、映画見ただけじゃわからんだろうな。(こんな結婚式はイヤだ、くらいだよなぁ)。戸浦&佐藤と津川はなかよくやれんじゃねーの、とか。私もよくわからんが、そう甘いものではなかった(らしい)ってことくらいは...


でもあれよね、この映画だとセンセイも結婚式に出席するんだけど、時代がもうちょっと下ると現実のセンセイは吊るし上げられるわけで... っていうのを竹内洋先生の本とか読むとき、思いおこせばいいんじゃないでしょうか。