休日。今日も部屋が片付けられんかった。時間はあり余っているというのに、またどうでもよいことに費やしてしまう。


ものすごく基本的なところから訓練。
「なんで掃除するのってこんなに苦痛なんだろ」(だから掃除しない)をどうにかしてやめたいなあ。
まず堕落史観があんのよね。はじめに「(完璧に)片付いた部屋」を(勝手に)想定して、あとはどんどん汚くなるだけ、っていう。
だからどんどん腐敗していくなかで、たびたび介入するにしても決して「(完璧に)片付いた部屋」を回復できないというか。
一回ごとのその介入もしんどい。(どうせ不完全だし)
こんなにしんどいことをしても、また汚れるんか!
やーめた。←(これをどうにかしてやめにしたい)。
その介入がなかったら、汚れは加速度的ですよ。
汚れるのを遅らせるだけでも御の字ですよ。
知ってる、でも出来ない。
あれだ、どっかで「オレが(今は本気出してないけど)本気を出せば汚れるのを遅らせる以上のことが出来る」とかもちらっと思ってたり。
自分を見積もりすぎ。
当たり前だけど、そんなこと出来ませんから。
じゃあ、やんない。出来ない。
こんどは(必要以上に)低く見積もってみたり。
中程度の掃除で問題ないです、中程度の片付いた部屋を維持するしかあなたには残されてませんよ、っていうのを素直に受け入れられないのはなぜか、とか。


あと、「片付いた部屋」を到達不可能な過去(つーか、神話の領域だべ)に勝手に置いてるためか、掃除を、時間の流れに逆らって過去へ逆走する試みだ、って思ってるフシが絶対ある。あ、馬鹿だから時間を思いっきり川の流れのあれで。しかも、掃除している間は(オレだけ)過去へ絶賛逆走中なのに、私を除くほかの人たちは着々と未来に向かって歩んでいて、オレだけ置いてけぼり、っていう根拠のないアレとか。
で、掃除も「僕の考えた片付いた部屋」(「僕の考えた超人」ノリで。私にとっては「片付いた部屋」なんて「超人」みたいなもんですから)からは程遠いまま、中途半端に放擲したり。
あれ? オレが過去へと逆走(しかも失敗)しているあいだにほかの人は、ずいぶん先に進んでるなぁ、追いつけないなぁ、とか。
ヤバイ、掃除なんてするべきじゃなかった、とか←なんで私はこう思っちゃうんだろう。


そもそも「片付いた部屋」って、これから起こる(つか、私が決意し、私が行為して初めて実現する)未来のアレですよ、ってのが身にしみてないというか。


「未来ですよ、未来ですよ」って思いこもうと思ってるのに思いこめないってのは、どこらへんから手をつけてよいものやら。


こんなことしてるあいだに掃除できたろうに。でもそれで出来たら(とりこし)苦労はしないよな。