労働実話

お問い合わせカウンターというものがあって、そこではお客さんと対面で接する。お客さんと(カウンターにいる)私のあいだには検索機があって、検索機の画面もお客さんと対面になっている。
そこがお問い合わせカウンターであるから、検索機で調べた書籍の有無を、お客さんがカウンターにいる私に尋ねることも多い。その際、多くの人が検索機の画面を指差して、
「この本ありますか」
とおっしゃる。
しかし、検索機がお客さんと対面になっているということは、お客さんと対面で接している私には、検索機の画面が見えない。
検索機の画面を指差しつつ「この本がありますか」と、初めてお客さんに尋ねられたとき、私は非常に戸惑い、思わず、「私がいる場所からは、指差された画面が見えないのですが」と言いそうになった。(注:結局言ってない。一応売り手ー買い手関係なので...)
私からは見えない画面を初めて指差したお客さんが特別なのかな、と思ってたら、その後検索機の画面を指差すお客さんが多数。ここに至って、私は気付く。私の方が間違っていたのだ、と。
いや、私にしても、指差されたら、その指が指し示す画面が見える場所(=お客さんの視点)へ移動するのだが、この一連の行為がどうも滑らかに出来ない。自然に振舞えないというか、なんとなく体がギクシャクして、指差された瞬間と私が移動することのあいだに、どうしても継ぎ目を感じてしまうというか。しかも、他の店員が同じような状況にあるとき、彼・彼女たちがきわめて滑らかに移動を遂行しているように(私には)見えてしまうので、私が間違っている... という疑念はなお強まる。
お客さんが検索機を指差すとき、その行為は、単に検索機を指差しているだけでなく、要は私に移動を促しているのだ、という風に思えるようには私もなっているのだが、その際も決定的な決め手が欲しいなぁ、と。つまり「私が検索機を指差すとき、それはあなたに移動を促しているのだ」というような意味の「言葉」を発して欲しいなぁ、というのが率直なところ。そう、私が(たぶん)間違っているのは「言われなくてはわからない」ところなのだ。
他の店員たちは「言われなくてもわかっている」ように見えるし、お客さんもそれを当然のようにしている。私もそれと「似たように」振舞うことも出来るが、その振舞いに至るには、他の人たちよりも、努力を要しているような気がする。気を抜くと、「ありますか」と指差された時点では私からは見えないのだから、あるか無いかの返答はその時点では出来ないとか(そう、私は「〜ありますか」という問いは「それを調べてください」という意味も含む、ということを一応知っているつもりではあるのだが、とっさに問われると「〜ありますか」という問いは、文字通りに「ある」か「ない」かのどちらかの答えを「直ちに」しなければならない、と受け取ってしまう。なぜなら「〜ありますか」と問われているのだから!)、指を差しただけで、差された人が動くというのはおかしい(注:このおかしいには非難の意味合いがないことに注意。どちらかというとわからない、不思議だというのが近い)とか思ってしまう。
指差されたら、たぶんそれが促しているであろう移動はしつつそれでも、
(1)私からは見えないものを私が見えると思っているのか
(2)見えないと思っているのならなぜ指差す(だけ)なのか
(3)指差しただけでは、他人は動かないと思えるが、それは知っているか
(4)知っていたら、なぜそれ(だけ)なのか 他にもあるが略。
について、言葉を引き出してみたい誘惑に駆られてしまう。指差された(だけ)では確信が出来ないんです! (ただ、これらを問うことはかなり失礼なことである、と一応知っているつもりではあるから、尋ねたことはないが。=その問いに対する答えを聞いて私はスッキリするであろうが、答える人はスッキリしないだろう)
というか、もし店員ーお客さんという関係でなければ、つまり仕事と言う文脈ではなく、しかも(対お客さん、要は初対面の人、ではなく)よく見知っている人たちには(検索機に限らず)私からは見えないものを指差されたとき、ソレハナニヲイミスルカ、を限定するための言葉(しかも曖昧でない)を(たぶん)私は要求してしまうだろう。(相対的に親密な人に対して要求することはまだ許されている、ように思われる。実際はどうかわからん、のもまた事実ではあるのだが)ホントに言われなくてはわからない、んです。
何度と無く似たような行為を反復することで、移動することがこの場面では正しいことだとは一応知りつつ、それでもそのように反応することを「自然」に出来ない(=指差されて、移動するの間のギャップを完全にうめることが出来ない)。何度となくそうしてきて、なおギコチナイ、ということは(おそらく)この先も私は「自然に」振舞えないのだろうな、と思うと少し寂しい。他の人たちは視点の変更をギャップ無しに遂行しているのだろうし、身振りだけでそれが要求していることを了解できるのだろうから。
それでも見えないものを見えるとは... とか、見せたいならハッキリと... とか(往生際悪く)、ええ、私が間違っているのは承知ですが、それでも... の「それでも」が容易には消去できず、それでも私は移動する。


野矢センセの大森本を読んでいて、つい私の貧しすぎる経験を長々と。