今日は昨日の続き

1.読み始めた本


飲みながら。もうちょっと突っ込んだものを期待していたのだが...  (中日新聞夕刊に連載されたものをもとにして、ということなので仕方のないことなのかもしれない)
2.読了本


あとがきより

 拙著『中村屋のボース』でR・B・ボースの人生を書いたときは、同じ目線の人間として、ボースを捉えようとしていた。多くの悲しみや苦悩を背負った人間に対する共感が、私を突き動かした。原稿を書きながら、何度も涙を流した。
 一方、パールについて書いているときは、その論理の鋭さと孤立を恐れない高貴な精神に圧倒され続けた。遥か上の高いところにいるパールを仰ぎ見るという感覚が、私を支配し続けた。
 そのため、本書では「パールの論理」を描くことはできても、「パールと言う人間」を描くことは出来なかった。おそらく一生、私はパールの人生を書くことはできないだろう。浅学非才の私にとって、パールは手の届かない処にいるいる偉人であり、尊敬する学者である。

(良くも悪くも)これに尽きてしまう。パールを扱うにあたって、『中村屋のボース』のように(「多くの悲しみや苦悩を背負った人間に対する共感が、私を突き動かした」)書いてほしいナァ... という私の望みがそもそも無理難題である... にしても、その無理な期待をしてしまうのであって...


それと下中彌三郎の評伝を誰か書かないものだろうか。