たぶん疲れているんですよ

いきなりある言葉がどこからともなくやってきて、しばらく頭を去らないことがある(よね)。それがちょっとしたキメゼリフ的なテイストを持つものだったらいいものの、「弟子入り」という言葉であったなら...
文字通りポッと出の「弟子入り」であるので、誰が誰にどのような領域で「弟子入り」を果たすのか、という「弟子入り」という事態を成り立たせるものを一切欠いたまま、ワタシの頭に闖入してきたために、当の「弟子入り」の方でも困惑したのか、
「弟子入り、弟子入り」
と連呼し、何において「弟子入り」するのかを棚上げしておいて、とりあえず弟子入り先を探している様子。で、この「弟子入り」、当然(というべきか)まだ(?)文字列(のまま)であるので、「弟」と「子」と「入」と「り」がハモりつつ(でもちょっとずつズレていきながら)
「弟子入り、弟子入り」
と繰り返す。で、ここからが肝心なのであるが(というか肝心ではないのだが)、「弟子入り」たちが発する「弟子入り」が、(いつの間にか)「弟子入リットル、弟子入リットル」と(たぶん)小学校二年生以来日常生活においてあまり用いることのなかった単位へと変質していったことで、しかし、このなしくずしのダジャレに対する責任は、(ワタシにではなく)、デ・シ・イ・リという音の連なりの方にあるように思われる(転嫁そして他人事)。たとえば「弟子入り」がデ・シ・イ・リという音の連なりでなければ、ワタシがダジャレにさらされることもなかったわけだ。(この書き方に、いかにワタシがダジャレに対する責任を回避しようとしているか、がよく見える) 別の音の連なりだったら、また違う、しかしダジャレであることにはかわりのないもの・にさらされるだけなのにね。