しばらくはアレントにかかりきり

1.継続中
(1)『責任と判断』
道徳哲学のいくつかの問題
第一講と第二講を読む。
(2)『倫理学』(二)
  第三章 人倫的組織
第一節 公共性の欠如態としての私的存在
第二節 家族
 一 二人共同体 性愛と夫婦
(3)『分別と多感』
第十四章〜第二十三章
エドワードのせりふ

毎日の仕事と経済的独立を与えてくれる職業を持たず、何もすることがないというのは、過去現在未来にわたり、ぼくにとって大きな不幸です。でも困ったことに、職業の選択に関しては、ぼくも家族も選り好みが激しいんです。それでぼくはこんな情けない怠け者になってしまったんです。(以下略)

2.読了本
(1)『漢文脈と近代日本』
序章 漢文脈とは何か
第一章 漢文の読み書きはなぜ広まったのか
第二章 国民の文体はいかに成立したのか
第三章 文学の近代はいつ始まったのか
第四章 小説家は懐かしき異国で何を見たのか
終章 漢文脈の地平
(詳述しないが)目からウロコが...
(2)『日本語は天才である』
第四章 「お」の変幻自在
第五章 かん字のよこにはひらがなを!
第六章 あずましい根室の私
第七章 シチ派vs.ナナ派 真昼の決闘
第八章 四十八文字の奇跡


メモ:第四章
勤務先のレジにて
「(書籍を)『お』ふくろにお入れいたしましょうか?」
という同僚がいるが、どうも気になる。低姿勢なマザーファッカーみたいで... ということを当の本人には言わない


メモ:第七章

おそらく1960年代後半には、ナナジュウネン安保の音が日本国全土の日本語におけるシチジュウネンの音を駆逐し、その息の根を止めたことは確かだと思うのです。

とあるが、僕なんかは大前田文ナナ軍曹の「賎ヶ岳のナナ本槍」を想起してしまう。シチの駆逐は軍隊が先取りしていた... というのは「妄想」(と書いてボウソウと読む、って記述がたしかこの小説にあったような)か? (この小説は「漢文脈」の観点から見てもまことに面白い小説なわけで...) 
そうだ、僕にしてからがお釣りを渡す時に「ゴ、ロク、ナナ、ハチ」と数え上げてるし。(イチとシチの識別は死活問題ですからね、レジ業務は「常在戦場」ですよ)
(3)『私の作家評伝Ⅱ』
明治の弟とその妻/徳富蘆花
渋民小天地/石川啄木
読了本(1)〜(3)を同時に読んでおいてよかった。
漢文脈と近代日本―もう一つのことばの世界 (NHKブックス)