なんかこう休日って感じがするではないか

1.継続中
(1)『リベラルなナショナリズムとは』
第五章 魔法の代名詞「私の」
第六章 隠された動機


まだ読んでます。もうちょい。とりわけ六章。
(2)『石川淳短編小説選』
「焼跡のイエス
「かよいこまち」
「雪のイヴ」
2.読了本
(1)『ジャージの二人
(2)『おいしい話』
(3)『ちいさな幸福』
(4)『樋口一葉「いやだ!」と云ふ』
(5)『男子のための恋愛検定』

相手に気に入られなかったらどうしよう、とか、うまくいかずに自分が傷ついたらいやだ、とか、踏み出すことに躊躇していたら、いつまでたっても人と関わることはできない。自分も相手も傷つかない方法なんてどこにもないし、異なる個と個が向き合えば、そこに摩擦が生じないはずがない。

まさにその通りなのだ、が...
しかしこの本を離れて余談へと移る。読んでいるうちは問題ないのに、この趣旨のことを(現実世界で)言われると(しかもたいがい説教口調)そこはかとなく不愉快なのはなぜなんだろう?


なんか必要以上にアツい人(他人からの評価、そして自身の評価も。そしてそれらの評価を勲章のように心得ているような御方。オソロシイことだ。)が
「(人を傷つけたくないって)ホントは自分が傷つきたくないだけなんじゃないか! 生きるってのはダナァ(以下略)」
と責める(そう責めるのである、彼らは)が、「傷つけないというあり方は不可能である。ゆえに傷つけてもいい」と思ってんじゃねえの? としか思えない口ぶりだったりすることが往々にしてある。そもそも前提にしたって、「自分が傷つきたくない」ってのは笑うべき夢想でもなんでもなくって、まずそこを出発点(確保すべき点)にしなければ、(彼らの言うところの)「コミュニケーション」(しかしその当の「コミュニケーション」概念が彼我で食い違っている、ということもままある。残念ながら。)が始まらないのではないか? と小心者の僕などは小声で主張を...
しかし、「自分が傷つきたくないだけじゃないの?」に類する発言を耳にするたびにいい湯加減の彼らには面と向かって言えなかったり...
まあ、「いつまでたっても人と関わることができ」ない僕が言っても説得力もないんだろうけど。
ジャージの二人 (集英社文庫)おいしい話―料理小説傑作選 (徳間文庫)ちいさな幸福 <All Small Things> (講談社文庫)樋口一葉「いやだ!」と云ふ (集英社新書)男子のための恋愛検定 (よりみちパン!セ)