一日が二度寝で始まり、「これくらいは読めるだろう」と昨日思い描いたゆるやかな計画ものっけから修正を余儀なくされる。
ここであせって遅れを取り戻そうとするとロクなことにならないのは過去の経験から実証済みであるから、呪文のように「あせらない、あせらない。平常心、平常心」と内言。ところで、ほんとうにあせらないヒトは、そもそもこういった局面で「あせらない」などと意識にすらのぼらせないハズなので、早歩きくらいの「あせり」方でもって読書。けっきょくあせるのである。
で、放っておいたらえんえん『ジェイン・エア』を読んでいられるくらいの勢いがついてしまっているが、それだと他の本とのバランスを欠くので... と主に自分に言い訳する形で上巻が終わったところで打ち切る。何かひとつのこと/ものが突出することを好まないというチンケな保守性が炸裂(炸裂と言ってもまあ、フランボワイヤン様式の「ボヤ」くらいの炸裂なわけだけども...)。となるとそれは読書・において享楽にまみれることの拒絶を意味しているわけで、そんな享楽なき読書においても愉しみというのはまたあって... と小声で訴えていきたいところではある。なんじゃそりゃ。


いやいや、たまには我を忘れてみたいものだ... と思うのですが、我を忘れた状態というのはたいがいが醜態なのではないか? という予感が(とりわけこのワタクシに関しては)あるものですから、言わば、痩せ我慢をしてまでも我を忘れないでいようかと。(ところが、あらためて決意するまでもなく我というものはつきまとってくるわけで...)


二度寝のせいで全然眠くないために無用の長文を書きつけているが、しみじみと「眠くない」ことは必ずしも「明晰である」ことを保証しない、ということを知らされる。


1.読み始めた本
(1)『福田和也の「文章教室」』
文章教室を読んでこのザマなんである。
(2)『空の帝国 アメリカの20世紀』
2.読了本
(1)『幻景の明治』
(2)『ナショナル・ヒストリーを学び捨てる』
(3)『ジェイン・エア』(上)
(4)『國文學』12月号
福田和也の「文章教室」空の帝国 アメリカの20世紀 (興亡の世界史)