1.読み始めた本
『若い小説家に宛てた手紙』
飲みながらなので全然進まず。
2.継続中
『森のバロック
3.読了本
(1)『ダメな議論』
メモ

私たちは、「自分の知らないことを知る」本を探しながら「自分の知っている(漠然と感じている)ことが書いてある」本を購入し、読書を「自分の役に立てる」ことを目標としつつ、「自分の思想・行動になんら影響のない(読んでも読まなくても変わらない)」本を読んでいます。つまりは、自分が日頃から抱いている「信仰」にお墨つきを与えてくれる、「自分が読んで心地よいと感じる」本を読んでいるにすぎないというわけです。

自戒を込めて引用。いやー、なるべく身銭を切って「自分が読んで心地よいと感じ」ない本も読むように心がけている(つもり)ではあるのですが、なかなかねぇ。読書ってただでさえ効率の悪い行為なのだからせめて心地よさぐらい... てのも正直ある。しかも、身銭を切ってさ。
身銭を切って「自分にとって都合の悪いこと」を見ていく... というのはなかなかに苦痛で(だからこそ)やんなきゃいけない... というわけでやってはいるものの、そこでなぜか「管理できる自分にとって都合の悪いこと」と「管理できない自分にとって都合の悪いこと」の二つのカテゴリーに「自然」に分かれてきて、二つあわせての「都合の悪いこと」であるのに、そのうち「管理できる」ほうの「都合の悪いこと」だけに照準を合わせてしまい、さらにはそれだけが「都合の悪いこと」であるかのように振舞ってみたり... しかもそのことについて「自覚があるだけまだマシ」と見るか、「自覚があるだけタチが悪い」と見るか、自分でも決めかねていたりするしね。
(2)『氷の海のガレオン/オルタ』
10年ぶりくらいに読む。はじめて読んだ時よりも自分がどんどん俗な方へ流れていってるのは自覚しているし、そのため今回の再読で「これはキツイかも...」という躓きもあった。(むしろ杉子を慕いつつ全然相手にされない「まりかちゃん」の語られ方のほうが今読むと苦しい。)
そんな俗な方へ流れていっている僕でもいまだに

「みんな決して悪い子たちじゃない。楽しそうにしてるよ。男の子たちは精一杯イタズラしてる。女の子たちは思春期に入って、これからいろんなこといっぱい悩むんだろうね。そういうの、すごくいい、と思うんだよ。もしかしてそれがしあわせって奴かも知れないって。だけど、」
詰まってしまった。

...ここで詰まる。
そういうまっとうな生き方を見下しているのではなくって(それは傲慢ですね)、心底「すごくいい」と思いつつも、どうしてもそれにノレないというのもまたあるわけです。(これもまた別の傲慢なのでしょう、それは分かっている。ではどうしろと?)ええ、俗な方にカジを切ってもいまだに思春期やってますよ、僕は。
(3)『ピアノ・サンド』
これイイ。(ただし長くなりそうなので割愛)
(4)『昭和出版残侠伝』
(5)『憲法と理性』
若い小説家に宛てた手紙ダメな議論―論理思考で見抜く (ちくま新書)氷の海のガレオン/オルタ (ピュアフル文庫)ピアノ・サンド (講談社文庫)昭和出版残侠伝