承前

1.継続中
(1)『ロリータ』
(2)『構築主義を再構築する』
2.読了本
(1)『グレート・ギャツビー
(2)『極太!!思想家列伝』
(3)『生き延びるためのラカン
(4)『文学全集を立ちあげる』
生き延びるためのラカン (木星叢書)


余談:僕はクレジット・カードを一枚も持っていなくて、今もって現金払い一本槍なんですが、なんでそれに愛着があるか考えてみる。
(1)まず、むこう(ってどこだ?)はきっと僕のことを「信用」していないだろうなぁ、とこっちで先回りして想定してしまっていることによってムリヤリに、クレジット・カードを(他ならぬ)僕が現に持っていないことを正当化したりする。
(2)それに加えて引き落としってのがなんか掠め取られてる感じがどうしてもする。(いや、まったく正当な支払い方法なんだけども)。
それに比して、貨幣での支払いは(一見)支払いにおいてこっちに主導権がある(ような気がする)。ほら貨幣を用いての支払いだとまだモノとモノのやりとりって気がするじゃない? それに比べてカードは... (信用貸しを拒否することで、「ほら、僕全面的に資本主義に包摂されてないもんね」という自画像を描きつつ、そんな自画像の描き方とは、残念ながら無関係に資本主義に包摂されてるんだよ、あなたは。知ってる!、けども...)
と言うのがことの半面。なんか分かりやすいですね。


ところで、僕は書店員でした。で、お客さんがカード決済をするという状況がかなり多いわけです。で、不思議なんだが自分では(カード持ってないけど、持っていたとして)「カード決済って(なんか)やだなぁ」と思ってるくせに、お客さん(=他人)がカード決済をするのは(かなり)好きというか...
a.お客さんがカード(=書籍に対して支払われるべき対価以上の「お金」がたいていの場合含まれている。だってカードはその場一回の支払いに限定されるものではないからね。)を提示する
b.そんな(たいへんな)カードを店員である僕が手に持つ。(=カードがいったんお客さんの手から離れる)
c.それを僕がシャカシャカCATに通す(=擦りつける)←これははやく通せば通すほどいい。
d.以上a〜cの行為の反復が好き(というかはっきり書けば気持ちがいいんである)


これの逆を考えてみる。僕が(持ってないけど仮に)カードを持っていたとして、それを使用しての決済の時に、よく知らない他人(=店員)にいったん(とは言え)カード(もちろんその場で必要な対価以上のモノが含まれている)を取りあげられて、さらにカードの所有者である(はずの)僕の目の前で(この「目の前で」ってのが重要な気がする)、カードを乱暴な仕方で(と僕の目には映るであろう)CATに擦りつけられるのが、(たぶん)正視できないであろうことによって、僕がカードを持ちたくない理由を説明できるかもしれない、というオレ理論に至る。(なんかウマイこと言ったような気がして、その実テキトーじゃねぇか? と今書きながらモーレツに感じるなあ)、だがそのオレ理論ですら言い尽くしてない、というかなんか隠蔽してんじゃねぇの? と(他ならぬ)僕が思いつつあるというグダグダさについて、教えてくださいラカンさん。


追記:これはカードに付随する各種ポイントetcなどによって、(あきらかに)カードを持つことによるメリットがある&知ってるにもかかわらず、そのメリットをふいにしても惜しくないほどなんですが、という点についても教えてください、ラカンさん。