今日読んだ本

1.読み始めた本
(1)『ハンナ・アーレント
序文でちょっと頭を抱えるんですが...結論を出すにはまだ早い。1章2節までしか読んでないしな。
(2)『僕の見た「大日本帝国」』
飲みながら読む。サハリン編。旅立つにあたっては、気持ちいいくらい著者がマッサラでびっくり。(なにしろサハリンに日本人・朝鮮人が今もいることに「本当」に驚いているのだから)。
しかし当然のことながらこの「マッサラ」な驚きは、旅を終えての振り返りによって事後的に構成されていることに注意しよう。本を書き終えてもはや「マッサラ」ではない今から振り返っての端緒であると。
つまり遍歴を通じて(今まで知らなかった)「大日本帝国」の痕跡を見ていくことで成長していく...という教養小説の枠組みなのだが、やや気になるのはサハリン編の末尾。

「かつて日本の領土だった地域に、『日本の足あと』を訪ねてみたい」
という切実な、渇望感にも似た欲求にまで昇華したのだった。
「日本」を知るための旅が始まった。

本文での「マッサラ」ゆえの素朴な驚きの連続には共感を抱いていたのだが、それが早々に、「日本」を知るため、と目的(のみ)に回収されてしてしまうとツマラなくなるんじゃないか...と心配しながら続きを読んでいくことにする。
2.読了本
(1)『江戸は燃えているか』
「江戸無血開城秘話」
(2)『SITE ZERO/ZERO SITE』
田中純の「男たちの秘密」は連載のようだが、これはインコミでの連載を「男たちの秘密」をめぐる論考の叩き台として継続しつつ、さらにこちらでまとめていくということなのか、それとも連載自体をこちらに移すということなのか、どっちなんだろう?
(3)『思想の身体 戒の巻』
破戒と持戒の往還運動 日本・仏教を簡潔にいうとこれに尽きるってことですが、これにさらに親鸞の無戒が絡んできて、明治の「肉食・妻帯・蓄髪は勝手足るべき」という布告に行き着く。
さて事実上無戒な現代・日本・仏教なのだが、その現代・日本・仏教の再生に当たっては「戒・律」がどのような役割を担うのか(あるいは)担わないのか?
(...しかし僕の日本仏教理解のほとんどを末木さんに負っているなあ、と改めて感じた次第)
(4)『本の読み方 スロー・リーディングの実践』
サクサク読みました。接続詞に注目とか、対句に注意とか、辞書引けとか言ってます。それって「スロー・リーディング」のススメじゃなくって、単に「リーデング」のすすめだろ。しかもそれらを駆使して(駆使と言っていいんでしょうね、きっと)見出される漱石にしろ鴎外にしろ(以下略)、これがまあなんていったらいいんだろう? 「いわゆる」漱石であったり、「いわゆる」鴎外であったりするわけで、そんな紋切り型を提示するのにこんなにもったいぶらなきゃなんないのかよ、という気がしないでもない。というかこのくらいだったら速読でも全然読解出来ますな。
...と書いていて、そもそも作家がやそうすやすと読者に本の読み方なんて教えてくれるわけはないということに気付く。きっとこの本で提示されてる拍子抜けする本の読み方なんて一種の韜晦なんでしょうな、作家一流の。もしそうでなかったら...そんなの信じません。
ハンナ・アーレント―“生”は一つのナラティヴである僕の見た「大日本帝国」本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)