今日読んだ本

1.『バックラッシュ!』
読了。至れり尽くせりの一冊。
メモ:北田暁大+編集部による上野千鶴子へのインタビューより

あるいは、恋愛弱者という代わりに、「恋愛なんかなくても自分は生きていける」という開き直りも生まれてきました。つまり、欲望がないところには挫折もないわけですから、欲望自体を放棄すれば、ヘテロセクシズムという装置から降りることができます。しかし、そこから降りた男を、ほかの男が男として認めようとしません。最終的に、男が男であることを誰がギャランティしているかといえば、女じゃなくて、ホモソーシャルな男同士の共同体だといえます。この装置からいかに逃げられるかということは、男自身、そして男同士の問題であって、女の問題ではありません。私にいわせれば、「自分で考えろ」ということになります。

この問題にはずっと「自分で考え」てきたわけですよ、この「老いたる中学生」(by前田司郎『恋愛の解体と北区の滅亡』)は。未成熟と末期の眼の間を揺れに揺れて、かつ真ん中の成熟だけは避けてしまったりしている。「欲望がないところには挫折もない」方向で動いているわけですが、その僕の「降り方」というものが、一方で「挫折の回避としての欲望の断念」という側面がないのかどうか即座に問われなければなるまい。いや、ずっと問うてはいるんですが。(小声で)あるなあ。この転倒の問題は根深いわけで、その根深さは自覚している。ところが、自覚というのがこれまたウサン臭いわけで...。
さらに脱線を重ねると、攻めるとか攻められるとか、性愛を戦争のタームで語ることを好む人たちには、思わず「戦わない国は祀らない」って言葉をぶつけてしまいたくなってみたり。思いつきですが。
2.『初心者のための文学』
「あいつら教えりゃ読むよ」の実践。大塚英志って啓蒙家だな、と。初出は『スニーカー』ですよ。ただ、中野重治を取り上げた回の(『空想化とシナリオ』)

ここで注意しておきたいのは、主人公が引き受けた『本と人生』なる映画は、いわゆる国策映画だということです。主人公は「つまり教育映画だ」と作中でいってますが、転向したプロレタリア詩人・小熊秀雄に政府からまんがの仕事が斡旋されたように、執筆禁止になった作者に斡旋されうる映画のシナリオの仕事があると考えれば、その内容は想像がつきます。実際、書きもしないシナリオの原稿料は即日、前払いされます。変な話ですが、物書きは「国策」に従うと、国がらみで色々とお金が下りてきて、それが現在だとまんがやアニメがそういう状況にあります。読者にはどうでもいいことかもしれませんが、物書きは読者が支払う本代の一部を原稿料や印税として受け取る以外の、特に「国家からのお金」はどういう形であれ受け取ったら最後だと、ぼくは思います。

これは「まんが・アニメ=現在の国策」の批判のために、中野をダシに使っている側面が強い。
3.『フェルマーの最終定理
ちょっとだけ。
4.『カール・シュミットの挑戦』
カール・シュミットマックス・アドラー』グリゴリス・アナニアディス
帯の

シュミットとともにそしてシュミットに抗して考えること

をもじるなら、いまどき左翼が見ないようにしている&なかったことにしている、「プロ独とともにそしてプロ独に抗して考えること」:これはもっとなされていい。
5.『システム現象学
読了。宿題にする。
システム現象学―オートポイエーシスの第四領域バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?