今日読んだ本

1.『銀色の翼』
読了。まず表題作。中編を書くのはムツカシイね。というか中編って一体なんだ?長編でなくまた短編でもない分量(分量の問題か?とも思わないでもない)なのだろうけど、この小説の道具仕立ては、やはり長編向きだったのではないかと思う。長編を無理矢理中編の分量で書いたという読後感は残る。淡々とした線を狙うよりはねちっこく行った方が生きるのに、。同時収録の「青いけむり」の下らなさ(いい意味で)の方を買います。
2.『輝く日の宮』
半分ほど読む。もしこの作品が旧仮名でなければ、俗っぽ過ぎて読めないところが多々あり。旧仮名マジックの助けを借りて続きを読んでいこう。(それにしても主人公親子の会話部での、両者ともにアカデミシャンだとはとても思えないようなユルさは、これ皮肉なんでしょうか)
3.『マルティン・ハイデガー
これも半分ほど。この手の入門書って一体どういう人が読んでいるのだろう。ハイデガーの著作を読んだことがなく本当に入門しようとして読む人よりも、自己流で読んだハイデガーが、入門書の著者によってどう整理されているか気になる人が読んでいるように思う。で、この本はなんと『存在と時間』にはほとんど触れていません(今のところ。でも目次を見るかぎりその後も主題的には触れていないようだ。もちろん底流にはなっている)。で、集中的に論じられているのは『芸術作品の根源』。冒頭で

本書は、主として文学を専攻する学生のためのハイデガー入門書である。ハイデガーは様々な側面を持つ哲学者だったが、本書では、文学と批評をめぐる問題に関連して、ハイデガーが考えるところを紹介したいと思う。

と言われているので、「世界」/「大地」(このスラッシュに抹消線を引いてお読み下さい)から、(まだ読んでないけど)ヘルダーリンへ行くっていうのはなかなか親切じゃないかな。それにしてもドレイファスからの引用が多いんですが、イギリスでハイデガーを読むってことがどういうことなのかの傍証になっている気もする。(著者自身分析哲学批判めいたことをところどころ書いているけど、それでも著者描くところのハイデガーが、「暗い森の詩人」とは似ても似つかぬクリアーな像を結んでいて、読む方としては大変有難いのですが、これもイギリスゆえ?という偏見丸出しのドクサを抱いてみたり)。
4.『水声通信』
読了。「軽井沢」と対象を限ると論者に扱われる素材がかぶるかぶる。いや、かぶった方が読みの差異が見えて面白いけど。
5.『どこにもない国』
『Do You Love Me』ピーター・ケアリー
後書きを見るとこの短編、

オーストラリアで千九七九年に刊行された短編集War Crimesに収められた

らしい。(以下ちょっとネタバレ)だとすると、今こそ

なぜなら国民は、何にもまして、国土の広がり具合を知りたがっているのである。

や、

翌日、二千人に及ぶ群衆の目の前で、ICIビルが消えた。

なんていうフレーズを味わいたいものである。
6.『思想の科学五十年』
「転向研究をめぐって」と、「暮らしからの視野の広がり」を読む。
銀色の翼輝く日の宮 (講談社文庫)マルティン・ハイデガー (シリーズ 現代思想ガイドブック)