今日読んだ本

1.読み始めた本
(1)『9条どうでしょう』
飲みながら読む。町山智浩によると、

たとえば、2005年2月の日本の衆院憲法調査会ではこんな意見が出たという。「憲法第三章『国民の権利及義務』を読むと、条文の中に『権利』が16ヶ所、『自由』が8ヵ所出てくるのに対し、『義務』は勤労と納税、子どもに普通教育を受けさせる義務の3ヵ所となっている。つまり、国や社会への義務が軽視され、権利主張が横行している。憲法に国民の義務をもっと増やすべきだ。国を愛する義務を盛り込もう......」
......憲法って誰が守るべき法律だかわかってる?

ということなのだが、ここで件の発言者を笑うことはたやすい。しかし、このいかにもな言説は、「(憲法が誰が守るべき法律かを)わかっていて、(しかし)あえて言っている」と受け取るのはうがちすぎだろうか?(陰謀論めいてくるが)。 「とりあえず憲法に書き込むから、(それでもなお現実に不都合がある場合は)僕らのせいではないですよ」という逃げを「憲法にもっと義務を」っていう言説には感じるのだが、これって妄想だろうか?
2.継続中
(1)『江戸は燃えているか』
「御所のいちばん長い夜」
(2)『SITE ZERO/ZERO SITE』
マラブーの「ハイデガー、資本主義の批判者 経済という隠喩の運命」が面白い。「形而上学」が存在忘却であると同時に「存在者」忘却でもあるという指摘は前向きに検討していきたい。
3.読了本
(1)『「ジェンダー」の危機を超える!』
いろいろあるけど「バックラッシュ」派の言い分でよくわからないのは
A:若年層の性の乱れは「フェミニズム」のせい
だと言い、それだったら学校で性教育をすればいい、というのかと思いきや
B:性教育(コンドームや性病について教える)は「フリーセックス礼賛」と来る。(それどころか「純潔教育」なんだってさ)
そしてその一方で
C:女性が結婚しない&子ども産まないのも「フェミニズム」のせい
だと言う。
これらをあわせて考えると「バックラッシュ」派に「期待される女性像」というのは、「(女性は)自分の体については無知なままでいて子どもだけ産んでろ」ってことになるんだが、彼らはそんなことを主張しているのか? さらに言うとそれは「(女性は)純粋無垢なまま育って(でも)セックスはしろ」ということにもなるような気がするんですが、気のせいですかね?


あと、学校に(予算の問題などで)更衣室がなかったりするので男女同室着替えが依然として残っているという問題が、あたかも「ジェンダーフリー推進者」が男女同室着替えを推進している、とすりかえられて、しかもその「すりかえ」が一定の人たちに事実のように受け取られている、という現状がメチャクチャ怖いんですけど。
(2)『イメージ、それでもなお』
(3)『増補 世界の一環としての日本2』
9条どうでしょう