RATIO 01を読む

今日のメインの読書。
興味を引いた論考のスケッチ

ダントの物語の歴史、ベンヤミンのチェスを操る自動人形etc
と言ったお馴染みの手法で山田太一のドラマ「終わりに見た街
を素材に、左右両派が第三者の審級を過去と未来のどちらに位置づけているか
を論じ。戦争を事後的に見るのではなく、イマココデ生成している事を考える。

戦後韓国に長く君臨した二人の大統領の「現実」への応接が
明瞭に見て取れて示唆的。経済危機以降の二人への評価の、韓国での
変遷も興味深い。

ローティ、ネオコンと見まがう論じ方なんだが、現在の宮台真司
在り方を理解するのに役立つかもしれない。

  • ロベルト・エスポジト 生政治、免疫、共同体

生政治ってタームも、アガンベンネグリじゃ使い方が真逆なので、
いつもどう取り扱っていいのかと惑っていたんだけど、非常にうまく
整理されている。ミソは「免疫」で生を守るもであると同時に、破壊する
ものでもある。この文脈での「免疫」の使用法は、デリダが自己免疫系の
問題として「テロルの時代と哲学の使命」でも用いていた。というか、パルマコン。
ただ、結論の「発生」の取り扱いについてはちょっと判断を留保したい。

これいい、というかフレデリク・ネフの「形而上学とはなにか」
がいい、ということか。ドゥルーズと分析的形而上学の共振を
想定すると、今何が問題かがクリアになる。

この雑誌季刊ぐらいのペースで定着して欲しいな。取りあえず
定期購読決定ですが。